私の学生時代は周りに戦争について語る人に出会うことはありませんでした。
義父母宅で聞いた話では、「電柱の高さで戦闘機が飛んできて、パイロットと目が合うた。」とか、「米軍兵からお菓子もらった」ということを聞きました。
学校で聞いたようなことを話しており、本当だったんだと感じました。入職後は「鉄砲玉が入っとった痕や」と腹や足を見せてくれる患者様が多くいました。
数年前は「みんな戦場に行って痩せるけど、ワシは調理場に入ったから、コーヒーもバターもあって太っていった。」「鉄砲玉、一回発砲するのにも、偉い人の許可がいる。それでは勝てんわな。」という話をする患者様もいました。
配置される場所によって、生死も左右されるのだなと感じました。
幹部学校では広島の大久野島の学習をしました。
「うさぎの島」です。そして、「毒ガスの島」です。
秘密裏に毒ガス(化学兵器)が製造されていた島で、若者たちも何も知らされずに製造に従事し、後に呼吸器疾患を発症し症状に苦しむという経過をたどることになりました。
日本は被害国でもあり加害国でもある、どちらの立場も苦しみしかないということを学びました。
戦後80年の今年度、病院目標の人材成長の項目には、
「戦後、被ばく80年の節目にあたり、平和行進や原水禁世界大会に多くの職員が参加できている」という項目が設定されました。
健康であるためには平和が大前提です。
わたしたちの医療活動も平和だからできることです。
「平和であること」について、一つでも見聞きし改めて考える一年になると良いなと思います。